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ふりーだむ

2014年10月30日

闘病の生活の末

私の母は、闘病の生活の末に、苦しんで亡くなりました。

そのため、私は安楽死については賛成派なんです。

よく反対派の人は、「大切な命なんだから最後まであきらめない方が良い」と、最もらしい意見が言う人が多いです、私も昔はそうでした。

でも、いざ身内が、重病で、副作用で髪が抜け、体中が痛いとのたうちまわり、日に日に衰弱していき、「早く死にたい」「痛みから解放されたい」って願ったら、考えてしまうものがあります。

リンチのような苦痛を365日24時間受けながら「死にたい」という患者さんと、「それでも生きて欲しい!頑張って!」と願う私。

本当に身勝手なのはどっちなのか、私はわからなくなってしまいました。

私の生きて欲しいという願いが、もしかしたら、わがままなのではないかと思いました。

私は痛みも何もないから、死んでしまうと寂しいので、生きて欲しいと願ってしまいますが、実際に痛みを抱えている本人からすれば、早く痛みから解放されることが救済なのではないでしょうか?

それを考えた時に、安楽死という選択肢が合ってもいいんじゃないのかなって思いました。

勿論、簡単には許してはいけないと思いますが、重病であまりにも回復の見込みがない場合に限っては、許してもいいと思うんです。

あんな悶絶している苦しい顔をずっと見るのは、家族としても辛い物があります。

やはり自分の死を選択できるって、これからの時代は大事になって来るんじゃないでしょうか。

そうそう、同窓会での服装って皆さんはどうしています?

今度小学校の同窓会があるんですが、何を来ていこうか、すごく考えてしまいます。

あんまりにもフォーマル過ぎても浮いてしまいそうですからね。

カジュアルすぎても、なんだか行けないような気がします。



Posted by ふりーだむ at 15:46│Comments(0)
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